推しが好きすぎて視聴をやめた番組の話
俺は陰キャの女が好きだ。
陰キャの女というと、陰キャというスラングがどうも分かりにくい。別の言葉でわかりやすく言うと、fgoの紫式部や刑部姫のような女が好きだ。
すなわち、根が真面目で、がんばり屋さんで、心根がまっすぐな女性だ。クラスで一番にならずとも、隅でいつも本を読んでいてかしこい女の子のことだ。メガネなどかけているとさらにいい。
そんな女の子がスーパー戦隊にいる。
弥生・ウルシェード。キョウリュウヴァイオレットに変身して戦う、時々メガネでタイトスカートの秘書めいた美人さんだ。
今ルックスを褒めたが、弥生はとにかくかわいい。一目惚れだ。おまけにがんばり屋さんで、主にテクニカルな面からキョウリュウジャーを支えている。おじいちゃん子で、破天荒な千葉繁(千葉繁そのものとしか言いようがない千葉繁がおじいちゃんだ)の心配をいつもしている。
弥生は俺が好きな女の子の要素だけをぎゅっと詰め込んだ最高の女の子だ。同じ趣味の人に自信を持ってオススメできる。これは応援するしかない!獣電戦隊キョウリュウジャーを見よう!AmazonPrimeで全話見放題だ!
…という記事にできたらよかったのだが。
タイトルの通り俺はキョウリュウジャーを見るのをやめた。
なぜか。
それを語るためには、獣電戦隊キョウリュウジャーという作品のテーマについて話す必要がある。
まず、弥生はテクニカルスタッフで、準追加戦士とでもいうべき立場だ(あるいは番外戦士と言うべきかもしれない)。追加戦士、番外戦士というスーパー戦隊専門用語についてはわかる人が分かればいい。大事なのは「準」「番外」という部分だ。弥生はキョウリュウジャーのメインメンバーではないのだ。
つまり、弥生の出番は少ない。しかしこれは弥生を好きという気持ちの前では些細な問題だ。ではメインメンバーではないことの何が問題なのかというと、弥生は作品のメインテーマを担う存在ではないということだ。
キョウリュウジャーのメインテーマとは「ブレイブ」である。日本語で言うと勇気だ。勇気を高めて戦う精神でまとまったチームが、キョウリュウジャーというわけ。
更に、主人公はカリスマ性と明るいキャラクターでみんなから慕われている、人を惹きつけてやまない太陽のような人物だ。彼は周囲から慕われるあまり、キングと呼ばれている。
この二つが合わさり、RPGのような味の明るく王道の展開になっている。よってキョウリュウジャーのメインメンバーは、ブレイブを持ち、明るく快活で主人公を慕う、品行方正な人物となる。
だから、キョウリュウジャーというチームで、弥生は異質かつ番外の存在なのだ。
弥生は奥ゆかしい。他のメンバーと違って簡単にはブレイブを出せないし、カッコいいキョウリュウジャーが羨ましくて、弱い自分が悔しくていじける。それに、惚れているキングにストレートに想いをぶつけることができない。そう、弥生はキョウリュウジャーのリーダー、キングが好きなのだ。俺はこの意味でも弥生を応援している。ごく自然な感情だが、好きな女の子が、できれば本人の望む形で、幸せになってほしいからだ。
ところで、キョウリュウジャーにはもう一人女の子がいる。アミィという。アミィはいわゆる陽キャだ。明るく、品行方正。お転婆なお嬢様で体術も強い。勉強はちょっと苦手。キングとは妙にウマが合い、なにやら二人の間だけで通じ合うものがあるような気配だ。弥生はそれに嫉妬しているが、キングもアミィも自分たちの特別な気持ちや、弥生の負の感情には気がついていない。それに二人とも陽の力が強いので、弥生がちょっとひがんでも全く揺らがない関係がある。
俺はその瞬間に悟ってしまったのだ。
弥生は絶対に報われない。
それも、惨めな振られ方をするし、真の意味、弥生が望んだ意味でキングから向き合われることはない。キングとアミィは当然のように結ばれ、祝福される。そこに他者が入り込む隙は一ミリたりともない。
弥生の弱さに寄り添い、理解してくれる人は作中に現れない。
弥生が憧れたキョウリュウジャーのメンバーと同じモチベーションで肩を並べて戦うことはできない。
心が弱い弥生が悪いのではない。キョウリュウジャーのストーリーに弥生が組み込まれているのは疑いようがない事実だ。すなわち、心が強いメインメンバーのブレイブだけではなく、弥生のような心が弱い人のブレイブも認められている。
だが、キョウリュウジャーという作品のテーマは、勇者たちがブレイブを見せることだ。そのテーマにそって、陽キャたちが活躍すると決まっている。これは覆しようがない世界法則のようなものだ。この筋が崩れるとキョウリュウジャーという作品がバラバラになってしまう。非常に重要なものだ。
でも……
俺は…………
キョウリュウジャーのメインテーマが憎い!!
なぜ勇気を持った強い人だけが優遇される世界なんだ!?
だってそうだろう。好きな女の子が幸せになれない世界なんて、間違っている!
だけど俺は、キョウリュウジャーの「ブレイブ」に惚れ込んで弥生が登場する21話までキョウリュウジャーを見進めてきた。
キョウリュウジャーの世界が好きなのだ。
だから苦しい。テーマが悪いと糾弾することができない。
でも、テーマに弥生が合ってなかったんだろうなということは感じ取った。このテーマでお話作りをするときに、弥生を出す必要があったのだろうか。弥生はブレイブのもとで生きるには過酷すぎる。
人には向き不向きがあるし、がんばったってできないこと、どうしても巡り合わせが悪くて人との縁がないことだって現実にはある。それに、弥生のように負の感情を持つ人なんていっぱいいる。というか、世の中の9割の人間がそうだ。弥生に非があったわけではない。なぜキョウリュウジャーの世界では弥生だけに、世界と上手く適合できない試練が降りかかるのだろうか。理不尽じゃないか。なぜ弥生なんだ。
しかし、弥生を苦しめるキョウリュウジャーになること、キングを好きになることは弥生が望んだことだから、弥生を応援している俺は強く反対できない。(弥生が望んだことに、弥生本人が苦しめられることを克明に描写した展開は24話にある。これが大層つらくてキョウリュウジャーを見るのをやめたのだが、詳しく書くと長くなるので今回はやめておく。)
現実では、合わない環境、合わない人間関係に置かれたり、失恋した後は再起することができる。弥生は正にそういう状況下にある。環境を変えるのには力がいるが、弥生のような強さを秘めた女の子であればきっとできるだろう。だが、不幸なことに、弥生は2次元と3次元の狭間にいるキャラクターだ。「ブレイブ」の外の世界というものはない。弥生は、彼女にとって理不尽なまでに残酷で眩しいキョウリュウジャーを直視することをやめられない。
こういうことが明確に読み取れるから、俺は悟った。
弥生が最終盤、おそらく45話以降でとてもつらい失恋を経験し、それが酷いカタチになることは定められている。俺はそれが許せなくてキョウリュウジャーを見ることをやめたのに、でもキョウリュウジャーが好きで、こんな文章を書くしか無くなってしまった。
俺はキョウリュウジャーをろくに観ないままでこの記事を書いた。だから、キョウリュウジャーを見終わった、俺の知らない弥生を見届けた人は弥生のことをどう思うのか。ぜひ教えて欲しい。